映画批評

はじめに

『カリガリ博士』は第一次世界大戦後の1919年に製作されたサイレント映画である。『カリガリ博士』は当時から全く新しい種類の映画として驚きをもって迎えられた。封切られた当時、ドイツ国内で興行面では大きな成功を収めることはできなかった。それに追いうちをかけるように、社会民主党の中央機関紙「前進」はきわめて痛烈に『カリガリ博士』を批判した。この映画は狂人に共感を持たせようと試みているので問題があると、と書いた。法律新聞はさらに国家や官憲を笑いものにしているので映画の禁止を要求するとまで書いた。しかし、パリでは好評だった。『カリガリ博士』が単に優れた映画というだけでなく、ドイツの戦後期の混乱を表した映画だと、評価した。この混乱した時代を表した「カリガリズム」という言葉までが生れた。(1)

『カリガリ博士』は表現主義を大胆に取り入れた映画としても後世に残る作品となった。その際たるものは奇妙にゆがんだセットや、その表面のデザインである。ただ、表現主義というものを取り入れたのは芸術的な判断というより商業的な判断であった。当時のドイツは第一次世界大戦に敗れ、映画業界も資金に苦しんでいた。『カリガリ博士』のプロデューサーであるエーリッヒ・ポマーは言う。

 

 ドイツの映画業界は、金儲けのために<様式化された映画>を作ったんだ。・・・・・・どうやったら他の国と競いうる映画をつくりうるか?ハリウッドやフランスの映画をまねようとしても、とてもむりだったろう。それで、われわれはあたらしい試みをやったわけだ。つまり、表現主義というか、様式化された映画だ。ドイツにはあふれるほどすぐれた画家や作家がいたし、しっかりした文学の伝統があったから、これは可能だった。(2)

 

 ポマーは『カリガリ博士』の脚本を渡されて、この映画を作るのには膨大なセットが必要で、それを全て準備するのは不可能だと判断し、「やり方」を変えた。つまり、脚本に書いてあるのに必要であろう、セットは全て舞台の書割にしてしまおうということである。

 当初の意図がどうあれ『カリガリ博士』は映画の歴史に残る重要な作品となった。それは映画というものの可能性を広げたという意味で重要である。『カリガリ博士』が実際とりわけすぐれた映画だといえるかといえば、そうでもないところもあろう。見方によっては、あの歪んだセットはただの「いんちき」であるという見方もある。(3)逆にいうと書割の不自然なセットに役者が何の違和感もなく、何もないかのごとく演技している映画を作ることもできるという可能性を見ることもできる。『カリガリ博士』に関わった美術監督のヘルマン・ヴァルムは映画が「生命を吹き込まれた絵画」(4)だというアイディアを持っていた。そして、表現主義を取り入れた『カリガリ博士』は確かに、生命の吹き込まれた表現主義絵画のようでもある。

 表現主義を映画が取り入れるという試みはたとえ、それがもともと商業的な意味合いがあったとしても、偶然ではなく、必然の試みだったのかもしれない。表現主義と映画の出会いが1919年という戦後の混乱期だからこそ実現できたところが大きい。表現主義そのものを大衆が受け入れるような時代状況だからこそ、『カリガリ博士』は表現主義の映画として、ただの「いんちきな」映画ではなく、ひとつの可能性として受け入れられたのであろう。

 これから『カリガリ博士』が表現主義の映画として受け入れられた要因を主に二つの観点で考えてきたい。一つは物語の枠組みについてである。物語は語り手によって語られているが、最後その語り手自身が狂っていたという結末で物語は終わる。この驚かされる枠組みは『カリガリ博士』の特徴であり、この枠組みについて考えることは映画について考えるのに重要になってくるだろう。もうひとつはカリガリという登場人物についてである。『カリガリ博士』は見ているものに不安を感じさせる物語である。その中心にいるのはカリガリである。彼の存在が不安を感じさせる大きな要素になっている。彼からを感じる不安の要素を検証していきたい。

 

表現主義についてもその特徴についても途中で考えていきたい。それは『カリガリ博士』について考えるヒントになるだろうし、当時の人々が感じていたことを想像する助けとなるだろう。

  

1.映画の内容

物語は主人公フランシスの回想から始まる。彼の故郷ホルシュテンバルで定期市が開かれる。そこに、カリガリ博士を名乗る男が、眠り男チェザーレの見世物を開くためにやってくる。許可のため市役所を訪れたカリガリを、役人は横柄に扱う。その晩役人は殺されてしまう。

フランシスには親友のアランがいる。二人はジェーンという同じ女性を愛している。殺人事件の翌朝、フランシスはアランと定期市におもむき、カリガリの見世物テントに入る。まっすぐに立った棺桶の中に夢遊病者のチェザーレがいる。彼は将来を見ることができるという。カリガリのことばを聞いて興奮したアランは、自分があとどのくらい生きられるかを聞く。チェザーレは「翌朝」と答える。翌朝、アランは役人と同じ手口で殺されて発見される。

フランシスはカリガリ博士に疑いを抱く。ジェーンの父のところに赴き、一緒に調査するよう頼む。二人はカリガリの家に行き、眠っているチェザーレを起こそうとする。その最中連続殺人の犯人が捕まったという知らせが入る。それは連続殺人をまねした男が女性を殺そうとして捕まったというものだったが、警察は彼がアランを殺した犯人だとふんでいる。男は殺人事件の関与は否認するが、皆信じない。フランシスだけは違い、再びカリガリの小屋を見張ることにする。そこにはチェザーレはいない。棺桶の中のチェザーレは人形で、本物のチェザーレは、ジェーンの寝室に忍び込み彼女を殺そうとしていた。しかし、ジェーンの美しさにうたれたチェザーレは、殺すのをちゅうちょし、彼女を連れ去る。ジェーンの叫び声に気づいたジェーンの父親は隣人とともにチェザーレを追いかける。チェザーレはジェーンを抱えて逃げるが、彼女を置いていったのち、力尽きて死んでしまう。

ジェーンは自分がチェザーレに連れ去られたと言い、フランシスは警察官とともに再びカリガリの小屋に押し入って身代わりの人形のからくりをあばくが、すきを見てカリガリは逃走する。

カリガリは精神病院に逃げ込む。それを追ってきたフランシスが病院の院長に面会を申し込むと院長自身がカリガリであることが判明する。院長の部屋を捜索すると、18世紀に実在したカリガリ博士という人物が催眠術で人を操ったことを記した書物が発見される。これによって、院長が自らカリガリの行為を再現しようとチェザーレを操っていたことがわかる。フランシスと医師たちが院長に問いただし、死んだチェザーレに面会させると、院長は暴れだしたのでやむなく拘束衣を着せて個室に閉じ込められてしまう。

このようにフランシスの回想は終わるが、実はフランシス自身が狂人で、精神病院に閉じ込められているのは彼だったというこという結末が用意されている。チェザーレもジェーンも同じ病院の患者で、カリガリ博士の院長は実際の精神病院の院長であった。フランシスは偏執狂で院長をカリガリだと信じ込んでいる。

 

最後は院長のクローズアップで終わる。

 

2.物語の枠組みについて

 映画は語り手であるフランシス自身が精神病院の患者であったという結末で終わる。しかし、映画が終わってもなお何か釈然としないものが残る。果たして、本当にフランシス自身が狂人なのか、フランシスを診察する精神科医の男はカリガリではないのか。フランシスが正しいのか、精神科医が正しいのか釈然としないのである。そのような、『カリガリ博士』は何か釈然としない余韻を残す映画である。

 それは、この映画の独特な表現が要因であろう。独特な表現とはわざと様式化されたその書割のセットである。私たち観客はフランシスが回想を始める場面のセットがことさら異常ではないというのをまず見ることになる。そして、回想が一度終わる時、またこの異常でないセットに戻る。ところが、フランシス自身が狂人であったという精神病院の場面では、ふたたび異常なセットが登場する。この書割のセットの再登場は私たちを混乱させる。まだ、フランシスの回想は終わっていないのではないか、物語の枠組みは閉じられていないのではないかと。

 私たちに何か釈然としないものを生む要因は様式化されたセットの違いだけではない。それは、最後のカットである。最後の院長を捉えたクローズアップは、カリガリがはじめて登場したときのクローズアップと同じ構図である。身振りやメイキャップの違いで明らかに、カリガリではなく善良な院長として描かれているのに、彼の最後のクローズアップは何か意味がありそうである。これもまた、まだ狂気の世界が終わっていない、枠組みが完全に閉じていない印象を与える。

 フランシス自身が狂人であったという枠組みはあとからエーリッヒ・ポマーが付け加えたものだと言われている。それは、脚本を書いたハンス・ヤノヴィッツとカール・マイヤーがカリガリを戦争指導者にチェザーレをそれに盲従する国民にあてはめるという意図をひっくり返すために行われたことである。当初の意図を弱めて、全ては狂人の妄想であったという映画にしたというわけである。

 完成された映画の前の脚本が存在する。その当初の脚本から枠組みは存在した。それは、フランシスが平穏な家庭で、自分の体験した恐ろしい話を客に聞かせるというものであった。(5)完成された映画との違いは、大きく2つある。ひとつは、カリガリの事件は実際に起こったものとして明確に描かれていることである。カリガリのテントがあった場所の銘文がしっかりと登場するのである。完成された映画はカリガリの事件が実際に起こったのかはっきりとしない。最後にフランシスを診察する院長が「彼は私を謎のカリガリだと思い込んでいる」ということばに唯一、カリガリという人物の存在があるということだけ明示されているだけである。二つ目はフランシスが狂人であるという事実は登場しないところである。回想を終えたら再び平穏な家庭が登場するのみである。

 

最終的な枠組みの変更にどのような理由があったかを考えることはあまり意味がないだろう。ただ私は変更の理由が戦争指導者とそれに盲従する国民の意図をひっくり返すためというよりは、映画をもとの脚本より進歩させるためではなかったのかと思う。この映画は「様式化された映画」として製作された。その様式とは当時、ドイツで芽生えていた表現主義である。表現主義の映画として、完全なものにするためには、ただ映像的な部分で表現主義的にするだけではなく、構成面でも表現主義的にしなくてはならないと製作者は考えたのではないだろうか。そして、フランシスが正常か異常かわからないようにする新しい枠組みはもとの平凡な枠組みより明らかに映画的な進歩が見え、現実を確かなものとして描かない映画の終わり方は、現実をねじまげて表現した表現主義との接点を感じることができる。

 

3.表現主義について

 『カリガリ博士』は表現主義の映画といわれる。表現主義とはどのようなものなのだろうか。ここで一度表現主義について触れておく必要があるだろう。

表現主義の芸術は人間の内に存在する感情や情緒を描くためにしばしば現実をゆがめて描く。それが、20世紀初頭のドイツにひとつの傾向として現れるのは多分に時代状況が影響しているのだろうし、ドイツ人特有の内面性が関係してくるのだろう。

 特に第一次世界大戦の敗北が大きくのしかかっている。それは、既存の権威を完全に崩壊させただけでなく、今までは見たこともないような大量殺戮を経験し、既存の死生観も大きく揺らいだ。あるいは、目の前に広がる大量死に現実感を失ったということもあろう。表現主義的な傾向はたとえば、ムンクがそうよばれるように、19世紀末から登場しているし、何もドイツに限ったことではないのだが、ムンクがつねに死を描いていている点では、戦争への明確なつながりを見てとれる。膨張する帝国主義的傾向や、極度に発達する工業や、都市化する社会のなかで、何らかの崩壊や不安を19世紀のヨーロッパの芸術家は敏感に感じ取ったのであろう。それは、極端にいってしまえば、世界大戦の予感といって良いかもしれない。そのような中で、表現主義の土壌はぐくまれていったのではないだろうか。

 ただ、戦争の恐怖はドイツに限ったことではなかった。その点では、表現主義的な傾向はドイツだけにかぎらず他の地域でも盛んになっても良かっただろう。しかし、表現主義が、ほとんどドイツ表現主義を指す、といわれるように、表現主義の傾向がドイツに現れたのはやはりドイツ人の内面と深く関係があるということである。表現主義は人間の内面のうちでも特に不安や恐怖を描く。また、既存の権威に対する対立や、社会の矛盾などを描く。ドイツは19世紀にようやく統一された主権国家ができたが、依然として封建的伝統が根強く残っていた。そのような社会への不満が表現主義の土壌にあったのだ。表現主義の演劇ではしばしば父子の対立が描かれる。また、さまざまな芸術の分野で行われた形式の破壊は伝統からの脱却を意図していたと見ることもできるだろう。

 19世紀末から20世紀初頭の不安定な社会状況や第一次世界大戦という未曾有の大量殺戮と戦後の混乱期に、ドイツ人特有の内面性が特殊なかたちであらわれたのが表現主義的傾向なのだろう。

 

『カリガリ博士』が表現主義的と呼ばれる理由は、時代性やドイツ人の内面性を描いているというからだと考えても良いかもしれない。当時のドイツの時代性や内面性を描くことができたからこそこの映画は表現主義的な様式を取り入れることが違和感なくできたのではないだろうか。

 

4.表現主義の効果

 『カリガリ博士』のセットは奇妙にゆがんでいる。奇妙なゆがんだセットに関してはルードルフ・クルツの表現主義とドイツ映画を論じた本における研究でこう述べている。

 

 垂直線が斜線にむかってはりつめられている。建物はねじれたギザギザのある輪郭をみせ、水平面はひし形に変形する。垂直線と水平面によって表現される普通の建築の動線が、ひしゃげた形の混沌へと変えられる……。ひとつの運動がはじまる。通常のコースをはずれ、別な運動にさえぎられ、割りこまれ、さらにねじれ、こわされてゆく運動。これが光の魔術的な演出のなかにひたされるのだ。かたちをはっきりさせ、分割し、誇張し、破壊する、つながりをもたない明るさと暗がりのなかに。

 

 美術監督たちがなぜこのような様式を選んだかについて、心理学的な説明がなされている。

 

 私たちが一定のかたちへと手探りで進んでゆくとき、正確に心理的な反応が組み立てられることは、心理美学上の単純な法則である。まっすぐな線は、ねじれた線とはちがった形で私たちの感情をみちびく。びっくりさせるような曲線は、なめらかにすべっていく線とはことなるしかたで精神に影響をあたえる。すばやいもの、ギザギザに裂けたもの、突然に上昇したり下降したりするものは、豊かな変化をもつ現代都市のシルエットがひきおこす反応とはちがった反応を呼びおこすのだ。(7)

 

奇妙にゆがんだセットは単に表現主義的な様式でつくられたという意味以上にこの映画にとっては重要である。私たちに「通常とはちがった反応」をさせることとこそ重要である。それは、この映画がフランシスの妄想なのか、そうでないかとか、カリガリが実際に院長なのか、そうでないのか、といった憶測を呼ぶことにつながるとは前述した通りだが、それにもまして、この「通常とはちがった反応をみせる」ことができるセットは私たち観客の感覚にせまる上で重要な効果を発揮する。

 完成された『カリガリ博士』の前にあった原案の中のある場面で、フランシスは「そのとき私自身が狂ったかと思った」(8)と言っている。原案のフランシスは精神を病んだ男ではなく、正常な男である。「私自身が狂ったと思った」という言葉は実は映画を観ている私たち自身の感覚を言い得ているようにも思える。

 この映画の優れた所は、「通常とはちがった反応をさせる」セットを使い、それを物語の内容にぴたり当てはめたことにある。私たちはカリガリという狂った男を見る。この映画は彼だけが狂っていて、はっきりと悪人と描かれていた。それだけで充分このセットは生きたことだろう。しかし、さらに重要になるのは語り手であるフランシスまでも狂っていたということである。正確なことを語るはずの語り手が狂っていたという結末は、単にカリガリの連続殺人は狂人の妄想であると片付けられるものではなく、観ている私たちの感覚を混乱させるものでもある。信頼置けるはずの語り手が狂っているので、私たちは物語に何一つ確信がもてないのである。

 フランシスを狂人に仕立て上げるという新たに加えられた枠組みはこの映画の様式を生かすうえでは重要な進歩になっている。原案者の意図をひっくり返す以上に、これは様式化された映画を単に見た目の様式化だけではなく、人間の狂気を描くという点で映画の進歩になっているのではないだろうか。

 様式化されたセットはまた、私たちが普段見ているものを極端に強調し、かえってその本質をうまく表現することにも成功している。

 カリガリが訪れる市役所の役人の椅子は人の背丈ほどある高い椅子であり、カリガリを横柄に扱う役人の性格を視覚的にあらわしているし、拘束衣をはめられ、閉じ込められる部屋の窮屈さや牢獄の窮屈さは、実際の部屋を用いて表現するより、かえって閉塞感、閉じこめられる恐怖を表現できている。

 

 表現主義を映画に取り入れることによって、私たち観客は心に思い描いていた物事の姿を見せられることになる。実際に役人はあのような高い椅子に座っていると心では思っていたのだろうし、牢屋や精神病院の個室に閉じ込められる恐怖をあのような窮屈なイメージとして持っていただろう。

 

5.時代性

『カリガリ博士』という表現主義を大胆にとりいれた映画が大衆に受け入れられたのはなぜだろうか。場合によっては「ただの狂人の映画」にしかすぎないかもしれない危うい映画である。それにはまず、表現主義がある種の流行にまで降りていたことが大きな理由にあげられるかもしれない。『メトロポリス』などを監督したフリッツ・ラングは次のように語っている。

 

 「わたしたちはある朝、ベルリンの壁に、ひとりの女が骸骨と踊っている絵に<ベルリン・死神と踊るダンサー>と書かれたポスターを発見した。それは表現主義映画を生んだ時代をよくあらわしたものだ」

 「敗北に続く混乱の日々のなかで、表現主義はベルリンの街に、ポスターや劇場やカフェや商店の装飾として氾濫した」(9)

 

 表現主義的なデザインがすでに見慣れたものだったので、『カリガリ博士』のような様式化された映画も違和感なく受け入れられたのだろう。

 しかし、『カリガリ博士』にとって重要になるのはその内容面でも受け入れられたことである。狂人の妄想であったという枠組みは結果的に表現主義的な映画の内容そのものの効果を高めることになったというのは先に述べたが、内容面でも表現主義とつらなるところが映画にはあった。それは例えば、カリガリがチェザーレやフランシスにとって悪しき父親のような存在であるというのは表現主義演劇とつながる部分でもあるし、もとの原型のカリガリが18世紀の人物であったというのは古い伝統につらなる人物というのを示唆している。

 しかし、人々はそういった「表現主義的な傾向」を意識していたわけではないだろう。もっと単純に考えるならば、映画に流れる雰囲気が、時代に流れる空気と一致したからこの映画は受け入れられたのだろう。第一次世界大戦後の現実を『カリガリ博士』は見事に表現できていたのかもしれない。そして、それは直接的にではなく、表現主義の芸術のように現実をゆがめるという形で表現された。

 

『カリガリ博士』はインフレや失業、飢餓などの社会の状況をそのまま描かないにしても当時の人々が感じていた不安や恐怖を、何らかの形で表現していた。人々は無意識のうちに自分の心の中で感じている不安や恐怖などを『カリガリ博士』を観て敏感に感じ取ることができたのではないだろうか。

 

6.「カリガリ」について

物語の中心にはカリガリという人物がいる。映画の持つ恐ろしい感覚は彼の持つ様々な印象が要因になっている。そこで、ここではカリガリというキャラクターから受ける印象を細かく述べていきたい。彼から受ける印象はそのまま当時の人々が日常から感じていた恐怖や不安とつながるものがあるだろう。

 カリガリは精神病院の院長であり、チェザーレを操って殺人を行う狂人である。脚本家のカール・マイヤーとハンス・ヤノヴィッツはそのようなカリガリを第一次世界大戦に国民を追いやった権力者に見立てた。

 

 チェザーレとは平均的市民のことだという寓意を、観客が理解してくれることを望んでいた。彼は、上司が求めることをしなくてはならない――そして上司とは必ずしも精神病院の院長である必要はない。むしろ将軍や大臣であっても差し支えない。平均的市民は、最後には自分が殺される結果になるために、人を殺さねばならない。精神病院の院長は、支配権力のシンボルである。人間の権利や価値をないがしろにしたまま、個々の人間に権限を与えるのはいかに不合理であるかを、示そうというのである。(10)

 

 カール・マイヤーとハンス・ヤノヴィッツはカリガリに実際の権力者の姿を投影していた。これがカリガリの持つ一つの側面であり、不安をかき立てるひとつの要因である。戦争に国民を追いやる権力者に対する不安をカリガリという存在で感じ取ることができる。カリガリという存在を通して戦争の不安をよびおこすのである。

 しかし、カリガリが戦争指導者の寓意であるという要素は脚本家たちが意図した以上に観ている人々が感じるのは難しいようにみえる。実際に脚本家がどのような意図でキャラクターを創造したかは映画を通して伝わるのは難しい場合が多い。『カリガリ博士』は特に戦争を扱った映画ではないし、たとえ戦争を意識したつくりになっていたとしても、率直に見た印象で戦争を想起させるというのには無理がある。戦争の不安を呼び起こす要素がカリガリにあるのは確かだし、脚本家がそれを意図していて、それに間違いはないだろうが、ここではごく単純にカリガリというものを見たときに感じる印象を述べていきたい。

 カリガリの恐ろしい所は何だろうか。それは彼がある日とつぜん街にやってきたというところからくる印象である。つまり、彼は街の人間にとってはよそ者である。この「よそ者」という印象がカリガリに感じる不安の要素のひとつではないか思う。カリガリが「よそ者」と感じるのには訳がある。まず、彼の服装やメイキャップが明らかに通常とは違うところにある。これには映画が持つ表現形式に合わせるためにあえて極端に変なメイキャップを施し、奇妙な服装をさせたという単純な理由からなっているものであるが(11)、原因はどうあれ、結果から受ける印象は彼が街の人間とはかけ離れた存在なのではないかということである。

 「よそ者」がある日突然やってくるというモティーフ自体にも不安を煽り立てるものであるが、映画の冒頭の場面で老人が「亡霊によって家族を捨てざるをえなかった」というセリフも重要になってくる。特に「亡霊」ということばが重要になってくる。老人のこのセリフはフランシスが回想をはじめるきっかけになるものだが、カリガリという存在がまるで亡霊のような存在であるという印象をこの冒頭のセリフから感じることができるのである。

 カリガリは「よそ者」であり、「亡霊」のような存在である。それだけで彼には何か恐怖を呼び起こすのではないかという予感を抱いてしまうのだ。

 カリガリの恐ろしい要素は他にもある。それは彼が復讐するのではないかという恐怖である。特に印象深いのが役人に見世物の許可を取りにいった時に、横柄な態度で無下に扱われたカリガリが見せる憎しみの目である。この場面では憎しみの目をしたカリガリのアップショットをあえて見せている。映画全体で人物のアップショットはほとんど表情を見せるときに使われているので、このアップショットは非常に印象深い。そして、この男が何か復讐をするのではないかという予感を強く感じさせるアップショットである。

 カリガリが復讐をするのではないかというものがなぜ恐怖につながるのか。それは彼が弱者のように見えるからである。彼の足を引きずった歩き方は肉体的な弱者であるということを感じさせる。それ以上に重要なのは彼が役人に対してこびへつらっているということである。カリガリが役人に対して見世物の営業許可を得ようとする場面で、彼がこびへつらっている態度には何かこっけいさが見えるとともに、「自分はあなたより下の人間である」というのを極端に表現しているように見えるのだ。彼は見世物師としても観客にこびへつらう存在であり、つねに何かに依存している弱者のような存在である。そのような弱者が上に立つものに対して復讐を企てるのではないかという不安がカリガリの恐ろしい要素の一つである。

 彼が精神病院の院長であることも不安を呼び起こす要素のひとつである。まず、信頼できるはずの人間が実は恐ろしい犯罪者であったという恐怖がある。精神病院という街の中では重要な機関の長が犯罪者であるということが恐ろしいのである。しかし、それ以上に恐ろしい事実は、枠組みが閉じられたあとの「善意」の治療者としての院長の姿である。

 俳優のヴェルナー・クラウスはその演技のやり方ではっきりとカリガリとは違う人物だとわかるように演じているにも関わらす、彼の最後のクローズアップは何か意味深である。

この最後のシーンの恐怖について、F・D・マコンネルは『見られ話されるもの』でこう書いている。

 

 わたしたちはもちろん、この医者の治療のやり方がどんなものかわからない。また、治療が病気とおなじくらいに悪質なものであったり、あるいはそれ以上に悪質のものであったりするのではないかと恐れる、行動主義精神医学の最近の発展に通じる必要があるということもない。もっとも重要なことは、私たちがクラウスの顔それ自体を見ることによって動揺させられることである。映画の幻想の核心が悪意にみちた不合理な破壊性につながるものであると私たちに教えてきたその顔である。私たちは思い出してしまう……映画の表面上の物語が私たちに忘れさせようとしているものである。制度的な権力のもつ悪と非人間性を。そしてこの記憶と忘却とのあいだの緊張が……いつまでも続く恐怖を……つくりあげるのだ。(13)

 

 治療者としての院長はなぜ恐ろしいのだろうか。彼はむしろ狂気の世界にいる人間を正常な世界にもどす希望を感じさせる人間であるはずなのに、恐ろしい。それは最後のクローズアップと、カリガリがはじめて登場した時のクローズアップとが同じ構図なので、院長はやはりカリガリなのではないかと感じさせることにもあるだろう。院長の存在に確信が持てないのである。もしかしたら治療者に見える院長はカリガリのような恐ろしい存在かもしれない。彼こそ本当に恐ろしい存在のように見えるのである。狂気から正常にもどす治療者こそが本当に恐ろしい存在に見えるのである。そしてなによりも、精神を病んだ男が、自分を治療する院長をカリガリのような恐ろしい人物と同一視してしまうということが恐ろしいのである。

 

 フランシスは自分の周りにいる患者を妄想の登場人物としてみている。本当のジェーンは自分を王家の血を引く者だと信じている患者であり、本当のチェザーレは花をなでている患者である。そのなかで、もっとも正常な院長をもっとも異常なカリガリと見ていることが恐ろしいのである。そのことは人間の持つ裏の側面を予感させる。正常なことをする人間の持つ非人間性を治療者としての院長は予感させるのである。

 

7.不安を生むもの

 この映画には空が登場しない。最初、ホルシュテンバルの風景が示されるときに「絵画」として空が描かれているとき以外、空は登場しない。窓枠があっても外は映っていない。昼なのに夜のような印象をこの映画に受けるが、それは空がないからだろう。夜のシーンであるとわからせるために、わざわざランプをつける人間を登場させている。

 空が登場しないことでこの世界が完全に何かに閉じ込められた世界のような印象を与える。人々は何かの中に閉じ込められている。「閉じ込められている」というイメージは映画の中に様々な形で登場する。囚人が収容されている監獄。狭いカリガリの小屋。そして、チェザーレが眠っている棺。そして、精神病院。

 物語は狂人の妄想だった。だから、世界は何かに閉じ込められているように感じたのだろう。だが、ここで恐ろしいのは最後のシーンも狂人の妄想と同じ背景で語られていることであり、院長が妄想のカリガリと本当に違う存在なのか確信を持てないことである。そのことが、あたえる不安は私たち見ている観客自身の感覚にせまるものである。それは自分自身の感覚に対する不安である。そして、観客自身が映画館という閉じられた空間にいることを思い出す必要がある。

 カリガリは見世物師である。彼は自分の見世物を見せるために人々を小屋に誘いこむ。この行為は観客に対して何かを連想させる。それは私たちが映画館に足を運んだという行為である。

 

 (『カリガリ博士』は)最初の公開の前および最中に、かなり見世物師的な機知を使って宣伝された。その宣伝キャンペーンにはヴェルナー・クラウスのカリガリが映画の中でその眠り男の見世物の宣伝のために、柱に固定した横木からたらしたポスターをまねたデザインのポスターと新聞広告も使われた。このような映画が集団にたいしてばかりではなく個々の観客にあたえる魅惑が、『カリガリ博士』のなかでは、まずフランシスとアランが運命的に訪れるさいの、カリガリの見世物を見に来た群衆によって、そして次に、カリガリがジェーンのために悪意をもって用意したひとりのための見世物にたいする彼女の反応によって象徴されている。……観客にかれらが実際にみているものへと足を運ばせた魅惑を思いおこさせることによって、そのもっとも微妙な効果の一部をつくりだしている。(14)

 

 『カリガリ博士』は観客が映画を観るというその体験そのものを思いおこさせる映画である。カリガリが催眠術師であるというのもそれに関係する。

 

 カリガリの催眠能力、そして彼がはじめて登場するときにその凝視が観客の方にまっすぐにむけられていることの究極的な意味は、ロラン・バルトがその影響力の大きかったエッセイ≪映画館から出て≫(コミュニカシオン19号)でわかりやすく解説している。バルトはそこで正当に、闇のなかで一心に見守る観客達にその静止しつつちらちらする光をみつめられている映画のスクリーン自体の持つ催眠機能に注意をひいている。(15)

 

 

 この映画が不安を呼び起こし、当時の人々が映画に描かれている不安を自分の不安と重ね合わせてみることができたのは、映画の中身を外に反映するようなつくりに起因しているのではないだろうか。カリガリの呼び込みは私たちが映画館に足を運んだ時のことを思い出させ、閉じられた空間は映画館にいる私たちを思い出させ、映画のスクリーンはカリガリの催眠のごとく私たちを無意識の世界に向かわせる。そのような状態に観客を置くことで、人々の無意識の内部に渦巻いている不安をカリガリという人物に代表される破壊的な人物に含まれた不安と結びつかせることによって、自分のもののように感じさせることができたのではないだろうか。

 

8.ふたたび表現主義

 『カリガリ博士』は表現主義の映画であった。しかし、原案の段階では表現主義が意識されていたわけではなかった。表現主義の映画になったのは原案者たちの手から離れ、プロデューサーの手に渡ったときである。映画のもとになる脚本が生れるときには、特に表現主義運動の一環として作られたわけではなかったのだ。

 脚本を書いたのはハンス・ヤノヴィッツとカール・マイヤーだった。『カリガリ博士』は二人の体験をもとにして作られた。ヤノヴィッツがハンブルクで目撃した殺人事件の犯人のイメージと、マイヤーが戦争中に診察を受けた精神科医のイメージ。それら二つのイメージと二人でいっしょに見た催眠術の見世物のイメージとが重なり、カリガリは生れた。そこに表現主義の影響は全く感じられない。

 その話に表現主義の要素を盛り込んだのがプロデューサーのエーリッヒ・ポマーであった。ポマーはシナリオのなかで予定されているセットを組むのは予算的に無理だと考え、表現主義の画家たちにセット・デザインを依頼した。表現主義の傾向をもった画家たちの集まりである「デア・シュトゥルム(嵐)」に属するヘルマン・ヴァルムとヴァルター・ライマン、ヴァルター・レーリッヒの三人であった。ヴァルムはそのなかで映画は「生命を吹き込まれた絵画」であると考え、絵画的なセットを考え出した。『カリガリ博士』が表現主義的であるという最もわかりやすい特徴がこの奇妙に曲がりくねったセットである。ヴァルム、ライマン、レーリッヒはセットだけではなく、映画そのものを絵画にしようと試みた。

 カリガリを演じるヴェルナー・クラウスは表現主義的なセットを観て、それに見合うような衣装を用意させた。クラウスの演じるカリガリの衣装が特にほかのキャストと区別されている実際の理由はここにあったのだ。クラウスの演技がいささか大げさで、こっけいなものを含んでいるのも、全て表現主義的なセットに溶け込むためであった。それはチェザーレを演じたコンラート・ファイトにも当てはまった。壁にへばりつき、硬直したアクションをする演技も全ては映画全体をひとつの「表現主義絵画」にしようとする意思のもとに行われたものだった。

 このようにして、見た目において『カリガリ博士』は表現主義のスタイルをとることになった。このスタイルは人々に受け入れられ、『カリガリ博士』はのちに表現主義映画を代表する映画と呼ばれるようになった。はじまりの脚本段階では表現主義の映画ではなかったが、この映画は最後に表現主義の映画になった。それが成功した理由はなんだったのだろうか。

 一つには表現主義のスタイルが大衆レベルまで降りてきていたからというのは先に述べた通りである。しかし、もっとも大きな理由は表現主義の持つ特質と関係してくる。

 表現主義は人間の内部の深淵をみつめようとする。人間の内部には混沌としたものや矛盾するものがあふれている。そのようなものを直接的に表現するには、過去の形式を持ってでは不可能だった。歪められた現実は、人間の内部にうずまく矛盾や混沌の真の姿であった。そのような人間の内部を描こうとする傾向は何も20世紀のはじめだけに現れたものではなかった。どんな時代の人間でも心の内部には矛盾や混沌を持っている。しかし、20世紀のはじめ、第一次世界大戦の前後は現実社会でも今まで感じたことのない「混沌」を人々は感じるようになった。今まで感じたこともない「混沌」の姿を20世紀の表現主義者たちは表現した。「混沌」は芸術家だけの問題ではなかった。現に人々は第一次世界大戦という今まで体験したことのない大量殺戮を見たのだから。それは価値観の崩壊を生んだ。今まで信じられたものの崩壊を人々は感じていた。世界そのものが表現主義の絵画のような現実感のない混乱したものに人々は感じていたのかもしれない。『カリガリ博士』に描かれている、完全に捻じ曲がった風景はかえって現実の混沌を見ているような感覚になったのではないだろうか。

 表現主義が人間の内部の混沌や矛盾を、形式をやぶった真の姿で見せるように『カリガリ博士』は混沌にみちた現実の真の姿を見せていたのではないだろうか。

 

 『カリガリ博士』が表現主義の映画として成功したのは、当時の混沌とした現実の姿を、奇妙に曲がったセットや、枠構造をもった物語によって効果的に表現できたからではないだろうか。

 

おわりに

 『カリガリ博士』が新しい映画となりえた大きな要因は当時の人々に受け入れられたということだろう。映画にしても芸術にてもどんなに新しい発想のもとで作られても、誰も認めなければ新しい芸術とはなり得ない。奇妙な書割のなかで役者が演技をしているのをみて、誰もが、「これは違和感があっておかしい」と思ったのなら、『カリガリ博士』は表現主義の映画として後世に語られることはなかっただろう。

奇妙な書割の中で役者が演技をする映画が認められたのは、その表現方法に妥当性があったからである。はじめに脚本家が用意した内容に、表現主義的な要素を入れる妥当性があったからこそ、この映画は成功したのである。妥当性とは、簡単にいってしまえば、その映画にはこの表現方法が適切であるということである。『カリガリ博士』はその原案の段階では表現主義とは無関係であったが、表現主義的な表現で演出することに適した材料だったのである。

 時代状況も映画を受け入れる大きな要因だった。人々の感じていたことを映画が直接的ではないにしろ、提示していたからこそ、人々はこの映画を受け入れることができたのだろう。

 当時の人々の感じていたことは、今までに体験したことのない不安や恐怖であった。『カリガリ博士』をそのような形のないものを映像という目に見えるかたちで、提示した。それは意図したことではなかったにしろ、人々の心に広がる不安や恐怖の形を提示することに成功したのである。

 

 あとから製作者によって加えられた枠組みは、カリガリの恐怖をすべて狂人の妄想であるということにしてしまったようにもみえた。しかし、表現主義的な背景を最後のシーンに残すことによってそれは単に妄想ではなく、まだ恐怖が終わっていないような印象を与えることになった。また最後に登場する院長が本当に善良な治療者なのか確信が持てないような描写は、本当に恐ろしい存在が実は正常な治療者なのではないかということを感じさせることになった。現実の人々がいる正常な世界こそ、実はもっとも破壊的な恐怖を含んでいるという予感を人々は感じていて、それを『カリガリ博士』は感じさせる映画である。『カリガリ博士』上映から数年後、ナチスが台頭する。ナチスは退廃芸術として『カリガリ博士』を禁止した。ナチスによって表現主義はただの狂気にまとめられてしまった。それは、最後の院長がフランシスの妄想を病気によるものだとまとめてしまったことと同じようなものだと考えるのは深読みではないだろう。

 

引用文・注

(1)クルト・リース=著『ドイツ映画の偉大な時代』、フィルム・アート社、S.59

(2)S・S・プロウアー=著『カリガリ博士の子どもたち 恐怖映画の世界』、晶文社、S.198

(3)同上、S.198(以下引用)

   批評はけっしてすべてが好意的だったわけではない。・・・・・・作品の歪み方、書割の背景のなかの人物を撮影するというやり方、グロテスクな効果を出すための特殊レンズおよび例外的なカメラアングルの利用の失敗、その演劇性などの<いんちきさ>に対する批判・・・・・・

   同上、S.198,199(以下引用)

   エイゼンシュタインが・・・・・・映画芸術の健全な幼児期を破壊する「野蛮なカーニバル」を認めた――「サイレントの狂躁、パートカラーの画布、でたらめに描かれたフラット、塗りたくった顔、ぞっとするような化け物の不自然な、つながらない身ぶりとアクション」の非難さるべき結合を認めた・・・・・・

(4)同上、S.197

(5)同上、S.203(以下引用)

   草稿の脚本の冒頭で私たちは語り手のフランシスに出会うことになるが、それはできあがった映画のように精神病院にいるフランシスではなく、田舎の屋敷に住む裕福な<フランシス博士>である。

(7)S・S・プロウアー=著『カリガリ博士の子どもたち 恐怖映画の世界』、晶文社、S.225

(8)同上、S.204

(9)『世界の映画作家 34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史』、S.27

(10)クルト・リース=著『ドイツ映画の偉大な時代』、フィルム・アート社、S.56

(11)カリガリ役を引き受けたヴェルナー・クラウスははじめ、精神分析医の役をやるとだけ聞いていたので、それに合うような衣装を持ってきていたが、スタジオで組まれていた奇妙なセットを見て、「こんなセットじゃ、私はモーニングや縞ズボンで歩き回ることはできない」と監督のヴィーネに言って、撮影の前に急遽、奇妙なセットに見合う衣装に変更させた。

 

(13)S・S・プロウアー=著『カリガリ博士の子どもたち 恐怖映画の世界』、晶文社、S.226,227

(14)同上、S.204

 

(15)同上、S.210

 

参考文献一覧

S・S・プロウアー『カリガリ博士の子どもたち 恐怖映画の世界』

福間健二・藤井寛=訳、晶文社、1983年

 

クルト・リース『ドイツ映画の偉大な時代』

平井正・柴田陽弘=訳、フィルム・アート社、1981年

 

『世界の映画作家 34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史』

嶋地考麿=編、キネマ旬報社、1979

 

参考メディア

『カリガリ博士』

監督:ロベルト・ヴィーネ

製作:エーリッヒ・ポマー

原作・脚本:カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ

1919年、ドイツ作品(アメリカバージョン)

 

発売元:IVC

 

(淀川長治総監修『世界クラシック名画100撰集』)

 

Resümee

„Das Cabinet des Dr. Caligari“ ist der Film vom Expressionismus. Der Szenenaufbau wurde von den Künstlers des Expressionismuses entworfen. Aber die Drehbücher dachten eigentlich über den Expressionismus nicht. Der Expressionismus wurde vom Hersteller hinzugefügt. Es war auch der wirtscaftliche Zweck. Der Szenenaufbau kostete viel Gelder. Deshalb gebrauchte der Hersteller den Szenenaufbau des Expressionsimuses. Die Kunst des Expressionismus malte die Furcht oder die Angst. „Das Cabinet des Dr. Caligari“ malte auch die Furcht oder die Angst. Deshalb stimmt der Film mit dem Expressionismus überein.

Dieser Film wird vom Erzähler erzählt. Dr.Caligari, ein dämonischer Arzt bedient sich eines Somnambulen um zu morden. Der Erzähler läuft Dr. Caligari nach. Dr. Caligari fliet in die Irrenanstalt. Dr. Caligari ist der Direkor der Irrenanstalt. Die Rede des Erzählers endet. Aber Erzähler selbst war der Patient der Irrenanstalt. Der Erzähler war bei dem Direktor in Behandlung. Der Erzähler glaubt, der Direktor und Dr. Caligari sind ein und derselbe Mann.

Der Direktor entspricht dem Dr. Caligari. Aber er ist zuverlässig nicht. Denn der Szenenaufbau ist verzerrt. Der Erzähler ist verrückt. Deshalb ist der Szenenaufbau verzerrt. Die Rede des Erzählers endet. Aber der Szenenaufbau ist noch verzerrt. Die Furcht vom Dr. Caligari endet noch nicht.

Die Furcht oder die Angst dieses Films ist dem Dr. Caligari inhärent. Dr. Caligari ist der Mörder. Und er ist der Direkor der Irrenanstalt auch. Dr. Caligari hat zwei Charaktere. Was ist die Furcht vom Dr. Caligari? Der Erzähler glaubt, der Direktor und Dr. Caligari sind ein und derselbe Mann. Das ist furchtbar. Der Erzähler identifiziert guten Arzt mit dem Wahnsinnige. Ich glaibe die verborgene Furcht von den normalen Menschen.

 

Der Expressionismus malte die Innenseite des Menschen. Im Innenseite der Menschen wirbelt das Chaos. Die Künstlers des Expressionismuses malt das Chaos. Deshalb verzerren sie die Wirklichkeit. Damalige Menschen fühlen „das Chaos“. Das fühlt man noch nie. Damalige Menschen konnten „Das Chaos“ ausdrücken. Von „Das Cabinet des Dr. Caligari“ fühlt man „das Chaos“. Damalige Menschen konnten bewusstlos „das Chaos“ sehen. Deshalb wurde „Das Cabinet des Dr. Caligari“ von Damaligen Menschen angenohmmen.